イメコンとみにくいアヒルの子

暗い話をします。

昔からずっと外見に悩んでいます。

子供の頃からぽっちゃり&にきびでいじめられた事、親がファッションを毛嫌いしていた事などから、「お前らが気にしているお洒落なんてくだらない」と装う事を憎んできました。

同時に自分自身の容姿を見つめる事にも恐ろしさを感じ、お洒落からは遠ざかってきました。

とは言え時は流れるもので、ファッションを楽しんでもいいのでは?とここ数年は思えるようになりました。

自分も既に30代半ば。似合う似合わないなんてさっぱりわからない。

そうだ イメコン やってみよう

と言う訳で診断を受けたのが去年秋の話。

受けて色々と楽しもうと思ったはいいんですが、ここ数ヶ月で迷走が続いています。

自分のスペックは以下の通りです。

 

①パーソナルカラー  春
②骨格タイプ     ナチュラ
③パーソナルデザイン グレース

 

そして悩みは以下の通り。

 

①そもそも春の色があまり好きじゃないけど少し好きになった。ただ鮮やかな色、特にリップは悪目立ちしてしまう顔立ち(推定顔タイプフレッシュ、子供顔)。奥二重~一重で、イエベ春大勝利の可愛い系アイシャドウは腫れぼったくなる。
②骨格以前に小柄なので、最近の服は大体でかすぎる。ナチュラル向けのデザインは特にでかくてぶかぶか。「こういう素材が得意だけど小柄だからバランスを取って」と言われた上に、得意な素材で春の色の服が全然ない。
③PDグレース向けのコーディネートが、子供の授業参観か卒入学式で頑張ってる親になる。スカートもワンピースも似合わない。きれいめカジュアルを意識してと言われたけど、惹かれる服のサイズは上記の通り全然ない。

 

おわかりいただけただろうか。

似合うってなんでしょうね。

でもそれなりに自分でも色々探して、ああこれは割と可愛く見えるな、これは顔が明るく見えていいな、など80点くらい取れそうな結果を見付けてきたんですよ。

でもね、それだけじゃどうも満足できないんですよね。


自分は子供時代、みにくいアヒルの子やシンデレラだという自己認識がありました。

復讐の物語が好きだったので、アヒルざまあw義母義姉ざまあwと痛快に楽しんできたのもありますが、「磨けば光る」という事に希望を感じてたんですね。

自分もそうだろうと。眼鏡を外せば美人だと。本気を出せばいじめてくる連中が恐れ多さにひれ伏すほど美しいのだと疑っていませんでした。

また、自分の学生時代はエビちゃんとか山田優とか、可愛いスカートを履いて華やかに着飾る、女性らしさも悪い事じゃない、みたいな風潮が大きくて、未だにお洒落はそういう盛る行為という考えがあります。

なので「自分もああやって女性らしい着飾り方をすれば」と思っていました。

大変だったにきびが落ち着いた頃、少し遅い大学デビューを目指してみた事もあったのです。

 

が…!駄目っ…!ナンカコレジャナイ…!

 

それならそれで自分にはもっと似合った着飾り方があるのだろう、と思いました

Twitterでもモード系やエスニック系、謎の柄や派手な色合いが似合う方などいらっしゃいますよね。独自のスタイルを持ってる方々はまばゆく羨ましいです。

なので自分もそっちの方向に行けば!と感じた訳です。

 

が…!駄目っ…!明らかに顔と違和感…!

 

恐らく自分は控え目な足し算の方が似合うのでしょう。

髪型はショートか短めのボブ。トップスはアイボリーやベージュといった控え目なベーシックカラーで、ボトムはサイズの合ったパンツ。

メイクは程々に血色感のある、薄付きでシアーなものに、少しラメを足した程度。

元々のスタイルとあまり変わらない、これで十分なのでしょう。

でもね、満足できないんです。

以前Twitterで、ユニクロなら70点取れるというPDナチュラルさんの漫画を読みました。

自分はそれで言うなら300点を取りたいと思っていたのです。

 

自分がやりたいのは「着飾って見違えるくらいきれいになる」なのです。変身願望です。

つまり上記のような控え目なお洒落で80点を取れても、その変身願望は満たされないんです。今までやってきた日常の延長線上だから。そして見違えるという程ではないから。

じゃあ好きな格好をすれば?と思うところでしょうが、「似合わない」を工夫して乗り越えるほど盛り盛りの格好をしたいとは思えないのです。そこまでの好きも情熱もないのです。

ただ、お洒落と言えばこれだから、そういうのを着てる人がなんかキラキラして見えるから、という理由なので、そこに到るまで困難、そして自分が似合わないと思うと嫌になってしまう。

そういった漠然とした着飾る欲求を満たし、かつ3000点を叩き出せる格好。つまりこれは青い鳥を必死で探している状態と言えます。

自覚している時は「馬鹿だねえ」と自分に距離を置けますが、たまにネガティブが雪だるま式に膨れ上がっていく時があります。

 

諦められない、服もメイクも盛りに盛ってきれいになりたい、美人になりたい、でもなれない…これは…これは…まさか……

もしかして:ブスだから ではありませんか?

 

と行きつく果てはGoogle検索。

上記の通り自分は自分がブスだと思った事は全然ありませんでした。

周囲と同じ事をやっても同じように見えない、でもそれは自分が周囲より個性的な美人だからだ、と思ってました。

だから個性的なファッションが似合うと思っていたのに、輝くための方法はいつもの無難の延長線上で、「程々に、中庸で、控え目で」と付いてくる。

似合う筈のものも単純にまとうだけでは似合わない。

肌質髪質ムダ毛質その他諸々の処理に手間がかかり、服も靴も髪型も選択肢が狭い。

それだけやってようやく登れるのが「人並み」の土俵で、鏡にいるのはいつもより多少小奇麗になった自分。

 

これってやっぱり、ブスだからでは?

自分はこの程度が限界なのでは?

 

この結論に辿り着いてしまった時は本気で泣きました。

ブスという言葉は人間を殺すための言葉なので大嫌いですし、否定材料もたくさんあります。似合うものもある、流行が自分に合ってない、もっと色々試してみれば等々…

ただここまで思い詰めてしまうという事は、何よりも自分はまだ、みにくいアヒルの子やシンデレラではなかった現実と、うまく折り合いが付けられていないのだと思います。

程々に整えればある程度は可愛くなれるけど、他を圧するほど美しくなれない自分。

あれだけ見下していた周囲の人間に負けている自分。

結構いい年齢で未だに外見の事で泣いてしまう自分。

認めていたつもりでも、やっぱりどこかで認められないんですね。

 

外見について、かなり受け入れられるようになったと思っていました。楽しめるようにもなっていました。

ただ、第三者からの診断という鏡を受け入れるのには、早かったのかもしれません。

またファッションに限らず物事の上達にはトライ&エラーが必要です。

そのエラーである「似合わない」や「イメージ通りにいかない」の積み重ねが、自分にはあまりに重く響いてしまうのだと思います。

希望があるとすれば「これは似合うんだな」と思えるものがあった事。

そして好きなファッションの系統なんてない、まあこの程度なら着れるかな…程度のこだわりしかないと思っていたのに、「こんなのつまんない!」「こんなのやだ!」と駄々をこねている自分を発見できた事。

自我が芽生えた分だけ前に進んでいると言えば進んでいるのだと思います。

 

メコンは沼と言われますが、外見についての抑圧を受け続けてきた人間にとっては、まさにコンプレックスの沼に沈み込むようなものだと思います。

受けてもすぐ垢抜けられるかと言うと、それはまた別の話です。

「遠いものだと思っていたお洒落を理論で語れる」という楽しさもありますが、自分自身の沼で溺れるアヒルになる事もあるので、くれぐれもお気をつけてお楽しみください。